リーマンショック時期に貧困ビジネスと言われる宿舎で生活したリアルな経験とそこから退寮。普通の生活保護受給生活

健康的な生活

世の中には貧困ビジネスと言う、
経済的に困窮した人々をターゲットとした、
宿舎の提供や食事を提供できるビジネスがある。



貧困ビジネスは生活保護費用からの運営費が賄われている。
ある意味、貧困ビジネスは通常の表社会から叩かれている感じが否めない。


しかし、
実際に世の中で金もなく寝るところもなく路頭に迷っている人に、
食事の提供や寝るところを緊急に提供する人などはいない。

世間で悪評高い貧困ビジネスも世の中で役立っていると思える。

実際に自分に置き換えて考えてみたら分かりやすいかと言える。
世の中には全ての人が社会に適応して生活しているわけでもない。
社会不適能力者な人間もいるのである。



それら、
路頭に迷っている人間を一括りに「自己責任で自業自得」だと片付けられない。

つまり自業自得思考的発想で一方的に決めつける思考では、
物事全てが簡単にはいかない。


ココで言う「社会不適合者」や「社会不適能力者」では様子が違う。


私が注目したいのは「社会不適能力者」である。

コミュニケーションが低く協調性が不足していて、
ルールや規則を理解できない。時間管理が苦手。責任感が低い。
自己管理能力が不足している。


大概に気づいている人もいるが精神が病んでいる状態である。

社会不適能力者は真面目人間が多い気がする。



ただし仕事ができないと酷評される。
本人も居場所が見いだせずに仕事を転々と変わる羽目になり、
最終的に生活保護受給者となるケースが多々ある。

つまり貧困ビジネスの世話になる。

それらを自業自得な人間と片付けられない。

前置きが長くなったが、
貧困ビジネスでの生活で色々な人と共に生活してきて分かった事は、
世渡りが下手な人間が多かったのも事実である。



振り返り


リーマンショックが引き起こした混乱の時代、私は路頭に迷いました。幸運にも、ある人の紹介で生活保護宿舎に入ることができました。この宿舎は、月12万円の生活保護費で運営され、食事代や部屋代が差し引かれ、手元に残るお小遣いは月3万円ほど。しかし、その宿舎での生活は思わぬ苦労が待っていました。

宿舎の実情


宿舎は3階建てのマンションの一階にあり、一部屋8畳の間仕切りは薄いベニヤ板。
隣の住人の物音は常に聞こえ、
夜は酒を飲む住人たちのトラブルや喧嘩が絶えませんでした。

しかし、物は考えようでその当時は仕事にもあふれて食事代もない有様だったので、
寮では自由な生活を送ることも出来ました。
私も隣の住人と音の問題で喧嘩に発展したことがあり、生活は決して平穏ではありませんでしたが、住人同士のトラブルはストレスが溜まっての生活環境にありました。

慣れたら小遣いも貰えて昼寝も十分できたので満足と言えば良かったとも感じる。


下記のような優雅ではないが、、、一応はのんびりと時間を過ごせた。

食事と日常


食事は普通に美味しくもなく、上手くもない。部屋は狭く、布団を引くと隣のコップの音まで響くほど。気心知っている人とのコミュニケーションは外での散歩でストレスの発散でした。

再生への一歩


1年の間、宿舎での生活を送りましたが、友達と力を合わせて役所に相談。秘密裏に新しい部屋を借り貰い、生活保護を利用して本格的に自立することになりました。現在は月4万円のマンションで暮らし、引き続き生活保護を受給しています。

まとめ


この経験から見えたのは、貧困ビジネスの宿舎が抱える様々な問題と厳しさ。一方で、自立へのプロセスもまた容易ではなく、困難が待ち構えていました。しかし、この過程で得た経験は、私にとっての成長と再生の一歩となりました。



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